ティワナク遺跡の標高がもっと低かったとしたら説明できる謎

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イマヌエル・ヴェリコフスキー衝突する宇宙で知る人ぞ知る天変地異説(激変説)を唱えた人です。

木星から彗星が飛び出し最終的には金星になったという説を主張した方です。

あまりにも奇説なので受け入れられることはなかったのですが、それでも、あきらめることなく自説を補強するため過去に起こった地球の激変現象についてまとめあげた本を執筆しました。

邦訳本のタイトルは「激変の地球」(1955)です。数々の激変現象の地質学的証拠を列挙しています。

(参考文献の数も446と膨大なものです。)

参考となる地質学的証拠は、学者が調査した論文やまとめあげた本からの引用なので、いいかげんなものではないです。

数ある論拠の中で、古代の遺跡に関するところが有ったので、紹介します。(P90-95)

ティワナクには遺跡群が有ります。

プマプンクが特に特筆すべきオーバーテクノロジーによる遺跡ですが、とても標高が高いところにあります。

その標高は12500フィートでメートル換算で約3800mと非常に高地なのですが、作物の栽培には適していないのです。

周辺で作物が育たないような場所に遺跡ができるほどの都市が形成されるのは考えにくいのです。

本文には、複数の学術論文や本からの引用がされていますが、かつてその地域一体がもっと低い標高で農耕も可能であったが、遺跡の建造物ができた後に比較的短い期間に隆起したのではないかとの説が述べられています。

これが正しければなぜ作物の栽培に適さない高地にこのような遺跡群があるのかの説明はつきます。

説に関しては、ヴェリコフスキー自身の言葉というよりも、引用をもとに、自説を主張する手法で論じられています。

複数の引用が有るのですが、その中で、下記について引用元の原文を確認することが出来たので紹介します。

Clements Markhamは著書The Incas of Peru(1910)でこの遺跡に関してこのように論じているとヴェリコフスキーは述べています。

石が喋れたら、非常に興味のある物語をきっと語ってくれるに違いないティティカカ湖の高原には、いまだに解けないミステリーがある。現在も、そのミステリーを解くのが大変困難なのは、いまの謎に包まれていて説明がつかないことが多い、この地域の自然に原因がある

そうした地域は、ごく少人数の耐久力のある山の住民や労働者を養えるにすぎない。湖の南端にだれが建設したのかわからない大きな都市の廃墟が存在するのは、まさに、ミステリーである。その町は、広い面積を占めており、高い技術をもった石工たちによって巨大な石を使って建てられていた

引用:ヴェリコフスキー 激変の地球 国書刊行会 P90,P91

もし現在より2000ないし3000フィート低いところにあったら(600から900メートル)、作物も栽培できることにより、都市の住民を養うこともできるので、謎は解決することになると書かれています。

このように原文で確認できます。

(ヴェリコフスキーが原文の内容を忠実に引用していることを確認しました。)

これを見ると、実際に、かつてはその地帯一体が、もっと低かったことは有ったのじゃないかと思えてしまいます。

問題はその時期となりますが、何百万年も前ということになると、この遺跡についての説明は成り立ちません。

それと、これは遺跡自体の年代も、いつ形成されたのかということと関係もあります。

まだ、諸説あるみたいですが、古いのになると1万7先年前という説もあります。

Posnansky Wiki
文献の抜粋:説明文には、12000年前と書かれていますが、添付の文献には、15000B.C.と書かれており、最初の記述が間違いと思われます。

算出根拠ですが、文献を読み取ると以下のようなものになります。

Conference of Ephemerids in Paris in 1911 天体歴の国際会議(パリ、1911)で決められた黄道傾斜角の式は

eps (t) = 23° 27′ 8.26″ – 468.44″ t – 0.60″ t2  + 1.83″ t3 (tが年代)

一方、遺跡が建設されたときの横道傾斜角が、23° 8′ 48″と割り出され、そこから年代が割り出されると15,000 years B.C.になると書かれています。

黄道傾斜角は他の惑星の引力の影響により、年により微量ですが、変わります。

上記の式に年代を入れると、当時の角度が求められるというものです。

WIKIにある横道傾斜角の式とは違いますが、都度見直しをしているので、当時としては、それが最新だったといいうことになります。

遺跡の方向が、夏至の太陽が昇る方向に向いているように建設されているのですが、微妙にずれており、そのため、建設当時はずれていないとしたらと考えると、年代を割り出せるということになります。

自転軸の傾きが違うと太陽の上る位置も変わってきます。

ここでは、WIKIの計算式に基づき実際に年代を入れてみます。

黄道傾斜角(秒による表示)=84381.406−46.836769∗T−0.00059∗T2+0.001813∗T3

WIKIによると50年さかのぼるとTの値は-0.5なので、17000前になると-170となります。

この値を上記式に入力すると83419.3367となります。

これは、秒換算なので、度分秒にすると、23度10分19秒となります。

Arthur Posnanskyはグラフから読み取ったと書いてありますし(グラフは見れないです)、年代も15000BCと切りの良い数値となっていますし、確認に使った式も違うので、実際は、15000BC前後であるとするならば、かなり近い値になるのではないでしょうか。(文献の8.Astronomical Angles 11~14)

横道傾斜角23° 8′ 48″のときに建設されたと割り出したと考えることは(当時の夏至の太陽が昇る位置に向いている)おかしいことではないので、それがずれている量から、当時の建設年代を推定することは、まったくもって、納得できる根拠であると思います。

このように過去の文献の検証をすることが出来ました。

従ってPosnanskyの説に基づき形成時期はおよそ1万7千年前となります。

また、それより以降に急激な隆起が有ったとするならば、つじつまが合うことになります。

このように考えると、説明が出来るということにしか過ぎませんが、ありえないこともないのじゃないでしょうか。

調べてみると、確かにアンデス山脈は今でも隆起をしているみたいです。GPSで測定した結果とのこと。

Watching South America’s Roof Grow

これによると時期ははっきり書いていませんが、ここ最近でいいと思いますが、10mm/年で上昇しているとのことです。

過去もどうかというとわからないのですが、仮に同じだとしたら、17000年で170mです。

これだと、少し隆起量が少ないのですが、過去はもっと隆起の速度が大きかったとしたら、600m~900mという隆起もあり得るような気がします。

さて、この造山活動ですが、10万年だと、10mm/年でも、1000mの隆起となりますが、これが、急激な隆起かどうかは、他と比べてではないかと思うのですが、まだ、その情報を持ち合わせていません。また、過去はもっと隆起の速度が大きかったとして、仮にこの倍くらいあって、近年、この速度になったとしたら、10万年で、2000mの隆起ですので、自分としては、急激なのではないかなと思います。まだ、情報不足の感があります。もう少し、調べてみる必要がありそうです。

とにもかくにも、過去にティワナクがもっと低かったということは間違いなさそうです。

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